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〜〜〜 そ よ 風 に 吹 か れ な が ら 〜〜〜

------ 2008年11月1日 フィリピン Davao-City に移住致しました ------

このページではダバオへの移住について綴ってみます

★更新日 2015年9月22日★





■ フィリピン移住への準備@

海外移住に至る動機や経緯については、人其々、様々な考えが有ろうかと思います。ここで私の経緯を紹介しても他の方のご参考には成らないと思いますので述べないことにします。

インターネット上での諸情報とエクセルによる財政面でのシュミレーションを熟慮し、移住先をフィリピンのセブかダバオに、時期はその年の11月と決定したのが2008年の1月頃でした。それから具体的な準備にとりかかった訳ですが60歳の定年まで1年を残しての早期退職になりますので、勤めている会社の了解を得なければなりません。業務の引継ぎに半年程度の時間は必要ですので2月上旬には上司に決意を話し了承を得ました。

それ以降、ネットでの情報収集はセブとダバオに絞り、先達のブログやホームページ、不動産(賃貸物件)に関する情報を閲覧する日々が続きました。その3年位前から海外移住に関する様々なホームページを閲覧してまいりましたが、あまり更新がなされず活きの良い情報が得ることが出来ないページも多数見受けられました。その点、最近急に広まったブログと呼ばれるサイトは情報が新鮮で非常に有効な情報元となりました。

4月に入り、いよいよ具体的な準備に取り掛かります。先ずは居住権を得る為の[特別居住退職者ビザ(SRRV)の取得を如何するか。移住先はセブかダバオに決定しています、ダバオにはこのビザを申請するフィリピン退職庁(PRA)のオフィスが在りません(2008年10月にダバオにも開設されましたが、この時点ではその情報は知りませんでした)。選択肢はマニラかセブでの申請になります、出来ることなら治安の悪いマニラには行きたくないと思っておりますのでセブで申請する事になります。

移住に関するサイトでの大方のご意見(ご忠告)は、「先ず、半年くらいの体験滞在をしてみて・・・」と書かれております。時間と資金に余裕が有れば私もそうしたでしょう、ですが諸事情から期限を決定済みの私の場合その余裕は有りません。少々の環境変化には柔軟に対応出来る(するしかない)という変な自信を持っておりましたので、これはスルーしました。

セブでのSRRVの申請は、条件である定期預金の開設や資金移動の口座も必要であることから、以前からネット上で目にとめておりました某銀行の日本人コンサルタントであるT氏にご相談することに致しました。早速メールにて概要をお伝えしたところ大変ご丁寧なお返事を頂き、日本での各種手続きや日程についても詳しいアドバイスをいただきました。

セブとダバオの種々な情報を検討した結果、移住先はダバオに決めました。フィリピンにはたった一度だけ4〜5日間のパック旅行でマタクン島のリゾートホテルに滞在したことがあるだけ、ましてやダバオについての知識ははゼロに等しい訳です。日々のインターネットでのブログや掲示板での情報閲覧に由る影響か?行った事も無いダバオという街が身近な存在になっていたのは不思議という他ありません。

T氏との日程打ち合わせの結果、渡比は2度に分ける事になりました。1度目の渡比で住居決定と銀行口座の開設、SRRVビザの申請に関わる事前準備を済ませて一旦帰国。日本での役所関係の届け、海外送金、若干の荷物の発送、賃貸住宅の返還に関わる諸事を完了して永住に向けて2度目の渡比、ざっとこのような段取りとなりました。

ダバオでの住居探しが難題です。日本の[×× 住宅情報]の様な便利なWebサイトがダバオにはありません。だだ一つ見つけた不動産ブローカーらしきホームページは1年以上前からブックマークしており時々は閲覧していたのですが、売り物件が主体で賃貸物件の掲載数は極端に少ないサイトでした。でも大よその賃貸相場を知るのに役立った事も確かですが。

最終的には、住居探しについても、ダバオに居住されてブログを開設されておられる日本人のブロガーさん(ブログを発信している人をこう呼ぶそうです)に相談することにしました。詳細は後日書きますが、このご夫婦には、本当に大変お世話になり感謝の念に耐えません。

それにしても[インターネット]というツールは、情報収集の最強の武器に成長しました。もし、ネットがなければ、今回の移住が実現する事は無かったと断言できます。   

■ フィリピン移住への準備A

4月半ば、詳細な準備日程表を作成しました。老化現象のせいか脳みそのメモリにメモしておくだけでは、適時呼び出しが困難な状態になって来ました。国内の引越しでも似たような事と思いますが、引越しの経験が1度だけの私にはかなり面倒な作業に思えました。準備に必要な事項を以下に列挙してみます。

賃貸契約解除の通知(6ヶ月前の条件あり)、USドル購入(口座作成に必要な500$)、海外旅行保険の手配(損保ジャパン1年)
社会保険手続き(国外転出後の国保任意加入)、証明写真撮影(2"×2"を一人15枚)、戸籍謄本(婚姻証明用)同抄本(警察提出用)
住民票(警察提出用)、 犯罪経歴書申請(警察本部鑑識課)、航空券の予約購入(ネットで)、関空ホテルの予約(出発前日泊)
海外用携帯2台購入(到着後直ぐに使用可する為)、セブ及びダバオのホテル予約(ネットで)、自動車売却処分、駐車場契約解約
インフラの解約(電気・ガス・水道・電話・新聞)、各種保険(生命・損保)の解約 、不要なクレジットカードの解約(1枚残す)
不要な銀行口座の閉鎖、インターネットプロバイダーの解約とモデム返送(返送出発前日)、家財道具及び家電製品等の廃棄処分
全部のCD・レコードをパソコンにリッピングしてから中古ショップに売却(結局レコードは時間が無くなり全部は無理でした)
写真アルバムのデジタル化(この作業も非常に面倒で時間がかかり少しだけしか出来ず、アルバムは重いので泣く泣く処分した)
必要最小限の荷物を「ドアtoドア」でフィリピンに発送(2度目の渡比前、特大ダンボール箱3箱を発送、約1ヶ月後に到着) 

こう書き出せば大した作業の様には思えないでしょうが、実際にやってみると結構面倒な仕事です。

■ 一度目の渡比(ダバオ@)

そうこうしている内に1度目の渡比前日になりました。大きなバゲージは前日に空港宅急便で関空あて発送を済ませていましたので、機内持ち込み用の小さなキャリングバッグだけを携えて関空の日航ホテルにチェックイン完了です。関空からの出発では初めてこの様な方法を使いましたが、早朝出発の便では大変有効な方法かと思います。

出発の朝、特に早起きする必要も無く6時半に起床し、7時過ぎには出発ロビーに到着です。バゲージを受け取って、フィリピン航空のカウンター(一番南側のHカウンターでした)でeチケットによるチェックインを無事に完了し、喫煙席のある3階のカフェで軽い朝食を済ませてしばしイップク、2階で出国審査、セキュリティーチェックを済ませて後1時間半。

搭乗口ロビーで待機中、私の名前がアナウンスされています。何事か?と急いでゲート係員を訪ねると、機内預けのバゲージの中に100円ライターを5〜6個ビニール袋に包んで入れていたのがX線で発見されたので取り出して欲しいとの事でした。キャビン持ち込みではないのでOKだと思っていたのですが、私の思い違いだったようです。最近厳しいですね。

定刻に離陸し、約4時間のフライトでマニラのニノイアキノ国際空港ターミナル2に到着です。何年か前のセブ島旅行で一度だけ乗り継ぎの為たち寄った事が有るのですが、よく覚えていません。出発前にネットで調べておいたメモを頼りに入国審査場へと向かい、入国審査を済ませて一旦ビルの外に出ます。階段で2階へ上がり国内線の出発入り口を探しているとガードマンが近づいて来ました。おっと、何かヤバいことに!と思ったのは杞憂で、「ダバオ行きに乗り継ぎたい」と伝えると、「フォロー ミー」と言って国内線出発ロビーの入口まで案内してくれました。マニラ空港については、あまり良い話は聞かないのでヤバそうなイメージしか持ってなかったのですが・・・最近は変わりつつあるのでしょうか?。

国内線への搭乗は、セキュリティーチェックと空港税支払いだけですんなりと搭乗口ロビーまでたどり着けました。ダバオ行き出発予定時刻まで2時間と少し、ここまで来て何となく喫煙可能なカフェがあったのを思い出しました。国際線側と国内線側とがVの字に交わる所に有るそのカフェでコーヒーとタバコで一休みです。ついでに此方で使う携帯電話に大阪で買って持参したスマートのロードカード(この空港で買えば良かった、日本では2倍以上の値段です)のチャージを済ませた途端、早くも初TEX(メール)が着信です。

ダバオのブロガーのTさんからでした、まるで何処かで見ておられたようなタイミングです。出国前にSIMカードに書かれていた電話番号とフライト予定をeメールでご連絡しておりましたので、無事に到着したかお気に掛けて下さった様です。直ぐにお返事をと思ったのですがTEXの送信方法が判りません? 日本での携帯もiモードは使っておらずメールは専らPCに頼っていましたので携帯メールは経験なしです。仕方なく音声で返信させていだきましたところ直ぐに出て下さいました。Tさんのお声をお聞きしたのはこの時が初めてです。想像どおり、温和で落ち着いたインテリジェンスをも感じ取れるお声でした。無事に到着しカフェで待機中の由を伝え、翌日のアポをいただきました。

ダバオ行きの出発時間が近づいて来ましたが一向に搭乗案内がありません。いや、遅発のアナウンスが有ったのかも知れませんが、このロビーは音響が悪い上に私のヒアリング能力の問題で聞き逃していたようです。ゲートの係員に尋ねたところ2時間程度出発が遅れるとの答えでした。結局、到着から5時間以上の待ち時間でダバオに向け離陸しました。疲れた。

■ 一度目の渡比(ダバオA)

ダバオ国際空港に着いたのは午後の8時30分を過ぎていました。日もどっぷりと暮れはて、閑散とした寂しそうな空港です。予備知識のとおり、国内線到着ロビーからメインロビーを通り抜けて反対側の国際線到着ロビーのターンテーブルで荷物を受け取ります。すかざずにポーターがキャリアーを近づけて来ますがそれらを丁寧に?振り払い、自分たちで荷物を表まで運びました。

空港の外も賑わいはありません。数台たむろしていたタクシーの運転手が代わる代わる声を掛けて来ます。空港からダウンタウンまでメーターでは150ペソ以内と聞いておりましたが、ホテルまでの値段を聞くとかなり割高な額を言ってきます。車の数も少なく仕方が無いので300ペソと言って来た運転手に200ペソで話をつけ、ホームページから直接予約を入れていた Crown Regency Residence に向かいました。

20分ほど走ったでしょうか、またまた寂しそうな薄暗いホテルの玄関前でタクシーが止まりました。何かの間違いでは?と疑ったのですが、看板のホテル名は間違いないようです。ホテル検索サイトでダバオのホテルを検索すると必ず出てくるホテルですし、自前のホームページからダイレクトに予約が出来るのと、ひとまずダバオに10日間の滞在予定でしたから少し広目の部屋(Family Suiteとなっていた)で自炊も体験してみたいと思いこのホテルに決めたのですがこの時点では少しガッカリでした。

タクシーの運転手に約束通り200ペソを支払いチェックインカウンターに向かうと、2人の可愛い受付け嬢が出迎えてくれました。少し癖のある聞き取り難い英語で(「あんたに言われたくない!」と言われそうですが)会話にはすこし手間取りましたが予約時に印刷しておいたバウチャーを見せチェックインカードに記入、デポジットをカードで支払いチェックインは完了です。

若いボーイさんが部屋まで案内してくれました。中庭のプールを囲むように2階建てのメゾネットタイプの部屋が並んでいました。1階の入り口を開けると簡単な応接セットにテレビ、その奥がダイニングと冷倉庫付きのキッチン、さらにシャワールーム(トイレ付き)があります。2階への階段を上がるとシャワールーム、トイレ、洗面を挟んでプール側にベランダが有るツインベッドのメイン寝室と、反対側にTV付きダブルベッドの寝室が有りました。

今朝、関空のホテルを出てから16時間余りの行程でした。少し疲れました、荷解きもそこそこにシャワーを浴びて直ぐに爆睡です。明朝のダバオの空、楽しみにしながら。


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ダ バ オ の D o w n t o w n

■ 一度目の渡比(ダバオB)

翌朝、ダバオの空は快晴でした。ベランダからの風景も、色とりどりの花を付けた木々の緑や赤いホテルの屋根が真っ青な空の色に映え、小鳥のさえずりも耳に優しく、どこか南国のリゾートに来たような雰囲気です。昨夜の到着時にガッカリしたこのホテルのイメージを少なからず挽回することなったダバオで初めての朝でした。

レストランでビュッフェバイキングの朝食をいただき、昨夜出来なかった荷解きも済ませてベランダで寛いでいるとTさんから電話が入り今から迎えに来てく下さるとのことでした。しばらくして可愛い奥さんご同伴でお見えになり、ダバオの地図を広げて借家探しの打ち合わせです。Tさんの提案で、「とりあえず今日はダバオ市内と住宅事情の見学会」という事で彼方此方に案内して頂く事になり、いざ出発です。

その日を含めて4日間にわたりショッピングセンターや大型マーケットの見学も交え、様々なグレードのヴィレッジやサブディビジョンを回って「4RENT」の物件を探し、数多く見学させて頂きました。初対面の私達に付きっ切で親身になってお世話して下さったTさんご夫婦(特に奥様には大活躍して頂き)には本当に感謝の念で一杯です。インターネットでTさんのブログに出会い、良い方にめぐり合うことが出来、本当に幸運でした。

物件探しの日程は契約事務も含めて7日を限度と決めていましたので、4日目終了後に妻と相談し、これまでに観てきた物件の中から、SMシティーダバオに程近いサブディビジョン内の小さなバンガロータイプ(平屋の一軒屋)の物件に決定しました。新築の綺麗な物件を沢山見せていただいた後なので、筑8年にしては少し古くさくあまり綺麗な家ではなかったのですが、毎日の買い物にモールまで徒歩6〜7分で行ける便利さと、ガードマンが常駐しているゲート内で治安も問題なさそう、でも何と言っても家賃が安かったのが決め手でしょうか。あくる日の朝、Tさんご夫妻にもご足労頂き、弁護士事務所でオーナーとの契約を無事に終了する事が出来ました。今回一番の難関突破です。

セブへの移動まで4日間、滞在ホテルから一番近いヴィクトリアプラザに毎日のようにタクシーで出かけての昼食や、近くの「51カフェ」でお茶をしたり、買ってきた食材で自炊の真似事をしてみたりと、少しノンビリさせてもらいました。

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ショッピングモール 「SM city DAVAO」

■ 一度目の渡比(セブ@)

ダバオで10日間滞在後、SRRVビザ取得の事前準備の為セブに移動です。ダバオ〜セブはセブパシフィク航空の国内線で1時間弱のフライトです。空港からタクシーでセブ市内のマンゴパークホテルまで直行しました。このホテルも予約サイトから事前に予約していたのですが・・・、値段相応といったところでしょうか?。まあ観光旅行で遊びに来ている訳ではないので良しとしましょう。

銀行のコンサルタントであるT氏に電話で連絡をとり、明くる月曜日の朝一に領事館事務所に出向き、持参した戸籍抄本から英文の婚姻証明書を申請した後にビルの玄関で待ち合わすことになりました。 翌日の月曜日、指示通りにアヤラのビジネス街ケペルビル7Fにある領事館事務所に出向きました。朝一だったので他に来館者も無く、日本人の方が親切に対応下さりスムーズに申請は終了です、2日後の受領はPRAのマーケッターが代行して下さるそうす。

T氏に申請終了を伝え待つこと10分、車で迎えに来て下さいました。初めての対面でしたが、何度もメールのやり取りと電話での会話をしておりましたので、やはり想像通りに面倒見の良さそうな気さくな感じの方でした。T氏がコンサルタントをしておられる銀行の支店に移動し、ビジネスクラスエリアにある彼のオフィスで、送金用ドル口座の開設、各書類の準備を行なった後、無犯罪証明申請の為NBI( 国家捜査局 )に同行しました。申請書類に記入し全部の指の指紋を押捺して手続きは終了です。この証明書も申請から受領まで10日程度を要するそうで、受領は代行していただけるとのことです。第1日目の日程は終了です。2日目は午前中にレントゲン撮影の後、別の病院に移動して血圧測定と簡単な検診及び問診の健康診断で午前中に日程は終了しました。


■ 一旦帰国する(セブ@)

セブでの所用は2日間で完了しました。土日と予備日を含めて6泊7日の予定を組んでおりましたので残りの3日間はビーチリゾートに日帰りしたり、アヤラショッピングセンターを散策したりで消化し、再びダバオに戻り(格安航空券の関係で)1泊の後一旦帰国しました。

11月1日の本格移住まで12日間、先に[フィリピン移住への準備A]で記した大部分の事項を消化した訳ですが、今振り返ると少し強行スケジュールであったような気がします。区役所、警察本部、社会保険事務所、銀行、電気屋、写真屋、それに特大のダンボール3箱の梱包発送、不要家財の処分と本当にばたばたでした。これまで引越しの経験が殆どありませんでしたので、家を明け渡すのがどれほど大仕事であるかを初めて知りました。

役所の手続き関連で、一番ややこしいのが年金の関係です。これは失敗でした。58歳で会社を退職しましたので、その後海外転出までの期間は国民年金への強制加入になります。海外転出時は自動的にこの強制加入が喪失し、引き続き加入を希望する場合は改めて任意加入の加入手続きをしなければならない事になっているようです。9月の退職後に何度か社保事務所に出向き11月1日の海外移住予定を説明して、どのような手続きが必要かを相談したのですが応対した職員の説明不足と事務処理のミス、それに私の不勉強(普通の人はあまり詳しく知りませんよね・・・)とが重なって任意加入の手続きがなされておりませんでした。詳しく書くと数ページにもなりそうなので止めておきますが、結果的にすったもんだの末、此方に移住後半年掛かりで是正させました。今回の社会保険事務所とのやり取りで年金問題の根源が解ったような気がします。

10月31日、家主への引渡しも無事に終了し、ご近所にご挨拶。住み慣れた街とも今日でおさらばです、漠然とした計画から3〜4年、本格的に計画を練ってから1年が経っていました。なにか大きな仕事を成し遂げたような達成感と、明日からの新天地での生活への期待、それに、日本を離れる一抹の哀愁とが混ざり合い、何とも言いようのない心境でありました。

■ 二度目の渡比(ダバオC)

11月1日の朝フィリピン航空407便で日本脱出です。ダバオ到着は定刻1時間遅れで午後の7時半過ぎでした。その日の夜は前回と同じホテルに泊まり、オーナーと鍵の受け渡しを約束していた翌朝、タクシーで新居に向かいました。一旦帰国の際に不要の荷物を預かって下さっていたTさんご夫婦も駆けつけて下さいました。オーナーとの契約時に約束していた、古い家具類の撤去や室内の再塗装も完了しており、屋内の様子は下見の時に比べるとずいぶんと小奇麗になっており、これならまずまずと言ったことろでしょうか。

今日からこの家での生活が始まるわけですが、寝床が有りません(ベッドの木製フレームだけは残してもらっていた)。又々Tさんにお願いし、車で20分位のホームセンターまで連れて行っていただき、マットレスや食事用のテーブルに椅子、扇風機等を購入して持ち帰りました。Tさんご夫婦には、何から何までお世話になりっぱなしです。

電気、水道はOK。ガスは?、ダバオは全部LPガスのようです。お隣のメイドさんにLPガスを配達してくれる業者の電話番号を教えてもらい、早速電話です。片言の英語でも何とか通じたみたいで20分程で配達してくれました。冷蔵庫・TV等の家電製品や日用品類は近所のモールでの調達です。詳しくは後述しますが予算を大幅に下回り、大変助かりました。


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Heimenzu


■ 二度目の渡比(セブA)

一通り、ダバオでの生活体制が整ったところで、セブへの再訪です。目的はSRRVビザの申請とペソ預金口座の開設、移動した資金の割り振り等です。今回のホテルは、アヤラ・ショッピングセンターに程近い Cebu Parklane International Hote にしました、中国系の経営のようですが前回のホテルと比べ格段に快適でした。

前回の訪セブで事前に準備を済ましていましたので、銀行内のT氏のオフィスで全ての手続きが完了しました。後はビザの申請が許可されるのを待って受け取るだけです。従来ならば受け取りの為にもう一度セブまで足を運ばねばならなかったのですが、一時帰国中にPRAのホームページで、10月中旬にダバオにもPRAのオフィスが開設されている事を知り、ダバオの事務所で受領出来るように手配していただきました。

11月9日(日曜日)から、3泊4日の日程でしたが、所用は月曜日の一日で終了しましたので残りの時間はアヤラ・ショッピングセンターの散策で過ごしました。ここは大変綺麗で、ゆったりとして巨大です、とても気に入りました、ダバオにも出来れば嬉しいのですが。


■ ダバオでの生活開始(イニシャルコスト)



表−1


表−2


ダバオ移住でのイニシャルコストは、大雑把ですが夫婦二人分で上の表の様になりました。今後SRRV取得でダバオに来られる方は、此方にもPRAの事務所が開設されましたので、セブ或いはマニラに行く必要はなくなりましたし、一時帰国も必須ではない訳ですから大幅なコストダウンが可能かと思います。

また、家具や家電製品もすでに完備されている物件も有りますので、こうした物件を選べば表2のコストもかなり節約出来るでしょう。但し、古い賃貸物件ではこうした備品類もかなり老齢化しておりますので、契約前の機能チェック、また、故障修理や買い替えの場はどちらが費用を負担するか?等の取り決めも重要でしょう。(耐用年数は日本製品の様に長くはないとお考え下さい。)

■ ダバオでの生活(生 活 費)

表−3


ダバオでの生活も10ヶ月が過ぎました。半年を経過した辺りから生活も落ち着き、一定のリズムも出来てきました。移住に先立ち、私も非常に気に成ったのが毎月の生活費です。毎日の家計簿は、エクセルで簡単に記録してます。(家計簿ソフトを使えばいいのに!)ざっと最近3ヶ月間の平均をとってみたのが上の表です。

週に1度のゴルフと、偶に2人でダウンに出かけてショッピングと外食を楽しむくらい、後は家でネットサーフィンして過ごしている毎日です。此方での日本人夫婦の生活費としては、最低ランクの部類かな思います。贅沢をすればキリが無いのでしょうが、もう少しは楽しみを増やしても良いのでは?と思うこの頃です。衣・食・住の詳細は改めて掲載するつもりです。

■ 海外旅行

昨年(2008)の11月から、セブパシフィック航空が週3便だけマニラ〜関空に就航しました。ひやかし半分にホームページの予約画面をのぞいてみると、フィリピン航空を利用する場合の約半額!、運良くプロモ料金の設定便であればさらに格安の料金で関空への往復が可能です。8月のある日、NHKで日本の温泉紀行を見ていた妻が、「やっぱり日本の温泉は最高やな・・・」と。考えてみれば此方に越してからまだ一度もダバオから出たことが無く、10ヶ月近く何処へも旅行していなかった訳です。

特に帰国せねばならない用件があるわけでは無いのですが・・・ぜひ日本で手に入れたい品物もあり、来年から受給する厚生年金の裁定請求について、社保事務所に確認しておかなければならない事項もあることですし、妻の温泉願望も叶えてやりたいと思い、ダバオから初の海外旅行?は7泊9日で日本への里帰りということになりました。

10/1〜9 の日程でセブパシフィックの航空券、大阪市内での5泊と有馬温泉2泊のホテルの予約をいずれもネット上で確定出来ました。

出発当日、ダバオ発10:10のマニラ行きが1時間の遅発!、マニラでの乗り継ぎ時間は2時間の予定でしたが1時間しかなくなりました。さらに何と、マニラ上空が悪天候の為クラーク空港に着陸待機とあいなりました。もうジタバタしても無駄で、なる様にしかなりません。結局、定刻を3時間以上遅れてマニラ空港ターミナル3に到着しました。マニラが悪天候であったという事は、乗り継ぎの関空行きも離陸していなかも?・・・とかすかに期待しながら、イミグレを済ませ、国際線出発ゲートに急ぎました。

ゲートに向かう通路で、セブパシのスタッフが待ち構えており「For OSAKA?」と尋ねられ「イエス」と答えると「Hurry Up!」と小走りで誘導し始めました。やはり、離陸出来ずにいたのか、そのついでに我々の便が到着するのを待っていてくれたようで一安心です。ターミナル3で昼食をと思っていたのですがこれは諦めるしかありません。レストラン街の横を通る時、スタッフのお姉さんに冗談で「We aer starving!」と言ってみたところ、「No time!」の一言で、さらに歩くスピードが速まりました。

結局、先の便から関空行きへの乗り継ぎ客が、我々も含め14〜5人居たもようで定刻より2時間遅れで16時頃に離陸しました。ダバオをもう一便早い6:30発で来られた乗客のみなんは、マニラ空港ターミナル3で8時間近く待たされていた事になります。お疲れさん。

そんなアクシデントで始まった旅行ですが、日本での行程は至って順調で、役所まわりと諸々の買い物、亡父の墓参り、あっと言うまの1週間でした。本場?の日本料理も堪能で出来ました。焼肉、蟹、寿司、お好み焼き、さすがに、《食い倒れ大阪》の食事はどれも大変美味しかったです。それと、後半2連泊した有馬温泉の旅館「御幸荘 花結び」さん、とても良かったです。小じんまりとした旅館ですが、お風呂よし、料理もサービス良しでとても満足でした。有馬でも彼方此方に泊まりましたが、お勧めNo.1です。

ダバオに帰国?当日の10月8日、ちょうど台風18号の近畿地方接近予想と重なり少し気をもみましたが、スピードアップして未明に関西方面を通過しましたので、影響を受けることなく予定通り帰国?の途に着けました。


■ 一年経過

ちんたら々とこのページを更新している間に、ダバオでの生活も早1年が経過しました。ゆったりと流れる時間の中で、あっという間の1年でした。文化の違いに驚き、戸惑い、また可笑しくも感じ、徐々に此方での生活になじんで来たようです。まあ、この調子なら、きっとこの先も大丈夫でしょう、臨機応変に柔軟な適応力で臨んで行きたいと思います。

移住後8ヶ月が経過した本年の7月から、1年ぶりにゴルフを再開しました。ご近所にお住まいの日本人のグループにご一緒させていただき、当初は週1回でしたが今では週2回のプレーを運動がてらに楽しませてもらっております。
Apo-19
APO GOLF 13番グリーン

■ もうすぐ3年

またまた約2年間このページの更新をさぼっておりました。日本に帰ってしまったのかな? と思われている方がいらっしゃる様ですが、のんびりとノンビリとダバオで暮らしておりますのでご安心下さい。石の上にも3年と申しますが、そよ風のような3年でありました。

さて、ここでこの3年間を総括してみましょう。先ずは移住ご希望の方々の最も気になる生活費等の経済的な面ですが、少し上のページに載せました生活費について、前回と同様6月〜8月までの3ヶ月間での月間平均を算出しました表をもう一度掲載いたします。


 
表−4


ご覧のように3年前と殆ど変化はございません。電気代の増加はTVやPCの稼動頻度によるものと思われます。あと、海外旅行保険は除外されましたので、その分が週2回のゴルフ代(キャディーフィーと昼食、お茶代)と、少し贅沢に日本食材が増えた食費に振り分けられたといったところでしょうか。

フィリピンの退職者ビザに関しては、若干の変化(概ね緩和の方向)がありました。
詳しくはPRAのホームページ ( http://jp.pra.gov.ph/) をご参照ください。

■ ダバオのインフラ その1−電 気

フィリピンの商用電気の電圧は公証230ボルト、周波数は60ヘルツであります。我が家での実測値は電圧が232ボルト周波数は60〜70ヘルツで少し不安定であります。

コンセントの形状は2〜3種類ありますが、日本と同様のアメリカンタイプのA型が一般的です。でもこれが我々日本人にとって有難くないことの一つなのです。形状が違えば差し込むことが出来ないので問題ないのですが、形状は同じで電圧が倍以上に高い訳ですから、日本から持ち込んだ電気機器類をここに差込み、スイッチを入れるとあっと言う間に昇天させてしまいます。トランスを通すのを忘れていたら即お終いです。

電気料金は決して安くはありません。上の表の期間での1Kwhの料金が約7ペソです。現在のレートで円に換算して約12.6円ですから、HPで調べた東京電力の約18円と比べると0.7倍になります。人件費が極端に低い(日本の約5分の1以下)この国ではトンでもなく割高な料金と申せましょう。我が家の場合はエアコンを全く使用しておりませんので、月額1,500ペソ程度ですんでおりますが数台のエアコンを多用している家庭では1万ペソちかくになる場合もあるそうです。

水力発電もまだまだ現役らしく、雨の少なかった昨年の4ヶ月程の間は計画停電が実施されほぼ毎日2時間〜3時間の停電となり、非常な不便を余儀なくされました。昼間の停電はまだ我慢出来るのですが、夕食時からの停電には困ったものでした。幸いにもその計画停電も昨年の少雨の期間だけで済んだようではあります。

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ダバオのPCショップでオーダーしたタワー型パソコン

■ ダバオのインフラ その2−水 道

ダバオ以外の事情は知りませんが、この街で住宅をさがす時に注意が必要なのが、水道の状態です。運が良かったのか我がサブディビジョンでは、水が全く出なくなるような事は水道局の水道工事か、他の工事での水道管事故以外には無いのですが、少し高台の地域であるとか場所によっては、朝から昼過ぎまで全く水が出ない、というような所も広範囲に在るようですので住宅を決める時にはチェックが必要です。

フィリピンの水道水で、唯一そのまま飲めるのがダバオの水道だそうです。家ではそのまま飲むことはありませんが、外食でのお水や、氷は全部のお店がミネラルウォーターとは限りませんので、知らずの内に飲んでしまっているのは確かでしょう。それで3年経った訳ですが胃腸の調子は至って順調です。人によっては弱い方もいらっしゃるようですが。

でも、ここの水道水は石灰質が残っているのか、水道のカランや水周りが直ぐに真っ白になってしまします。まあ、別に実害はないので、最近はまめに磨くのは止めております。

料金は非常に安いです、毎月約17〜20tを使用して160から230ペソの料金です。単純に9月の料金を使用量で割ると今のレートで1t が19円でした。
ちなみに、大阪市の水道局では現在1tが100円ですが実際には下水道料金がプラスになりますので、約160円になります。大阪の1/8ですか、、、、 でもこれがこちらの庶民にとってだいたい適正な値段だと思います。庶民の日給が日本の1/8〜1/12ですから。

■ ダバオのインフラ その3−ガ ス

都市ガスはありません。全部プロパンガスです。我が家では約100日間で net11Kgと表示されたボンベが空になります。配達料金込みで800ペソ(約1450円)です。3年前は600ペソでしたので、ガソリンと同様に値上がり幅が大きい物の一つです。いつ空になるか分からないので、3ヶ月目にはヒヤヒヤしながら料理してます。非常用にカセットコンロも1台待機させております。

■ ダバオのインフラ その4−通 信

ダバオには電話会社が2社あります。フィリピンでの最大手で、日本のNTTの傘下となったPLDTという会社が、自前の有線電話回線とDSL等のインターネット回線を運用し、子会社のSMARTという会社が携帯電話と無線を利用したインターネットのサービスを提供しております。もう一社GLOBEという会社も同様のサービスを行っています。

引越し当初、PLDTに固定電話とDSLでのネットを申し込みに行ったのですが、私が住んでいるサブディビジョンに、現在空き回線が無いとの訳の分からない理由で申し込みを保留にされ、その後何度催促してもノラリクラリの対応なので、この会社には見切りをつけ、電話はプリペイドのSMARTの携帯電話(2台あり)のみで固定電話は無しです。インターネットもSMART社の無線を利用した回線で利用していす。

携帯電話の普及は日本以上ではないでしょうか。でも、しかし、人々が携帯を耳にあてている姿には滅多にお目にかかれません。携帯利用の大半はTEXと呼ばれるショートメッセジ(SMS)です。若い人ばかりか、かなり年配のババエでさえブラインドタッチで打ちまくります。何語?かは知りませんが。たとえそれが英文であっても、略語ばかりで初めて読んだ日本人には半分も理解出来ないかも?ですね、例えば y⇒why、ru⇒are you、m8⇒meet といった具合ですからネ。最近少し慣れてきました。

インターネットに関しては、日本より10年遅れてるって感じですね。私が契約しているのはSMART社の無線通信を利用したものですが、スピードは時間によってマチマチで調子の良い時は1Mbを超えますが、悪い時はには400Kb位まで落ちてしまいますのでYoutubeもママならなくなってしまいます。これでも最近は随分と良くなったほうで、半年くらい前まで混みあう時間帯は、全く話にならない状態でした。それでも料金は月額で約1000ペソ(約1,800円)ですから。

あと、ちょっと日本よりお得と言えるのが、Wi−Fiが無料で使えるコーヒーショップや飲食店が沢山あり、ノートPC等を持ち込めばコーヒー代のみでネット接続はOKです。安い料金のHOTELでもネット接続は無料ですので、旅行者には有難いですね。 私が使っていたNOKIAの携帯にもブラウザが入っていたのでネットが使えましたが、如何せん画面が小さく年寄りの目には辛かったです。ipadmini を買ってからはいつも持ち歩き、「どこでもインターネット」がOKでした。

House-1
写真はSMART社のインターネット用アンテナ(地上高10m)

■ 引越し

5年目の初夏、借家のオーナーの都合で3ヵ月後の10月末日で賃貸契約を解除することになり、引越しを余儀なくされました。実は、その翌年の5月に此方での生活を終了して日本に引き返す事を決めていましたので、事情を話して翌春まで延長して頂だくことも考えたのですが、これまで5年間、家賃の値上げもなく据置にしていただき大変お世話になりましたので、息子さんを住まわせるという先方の都合を優先して引っ越すことにしました。

こちらで知り会った日本人の奥さん(フィリピン人)で、住宅の周旋なども仕事にしている方がいましたので、他の事でも時々お世話になっているその人に物件探しをお願いしました。条件は、現在の場所から近くで、庭木や芝の手入れが不要なタウンハウスかコンドミニアムです。その訳は、庭の芝生や植木の手入れは結構骨が折れます、何しろ草木の成長がメチャクチャ早いのです、切っても刈っても直ぐにボウボウになります。お金持ちのお宅では、定期的に専門の職人が来て面倒みているようですが、運動がわりにと自分で始めて5年間、よく頑張ったと思います(笑)。

希望に添う物件は直ぐに見つかりました。彼女達の横の繋がりは「素晴らしい」の一言です、なるほど、不動産のウェブサイトがあまり発展しないのも頷けます。 新居は、今の家から本当に直ぐ近くです。SMショッピングセンターに隣接のコンドミニアムの一室ですから、地図上での直線距離は320mでした。住宅地の塀が有るのでゲートを回らなければなりませんが、それでも徒歩で6分ほどです。 近いし、家財道具もほんの少ししか有りませんので引越しも楽勝、2tの箱バンで余裕でした。
でもこのコンドミニアム、狭いでーす。いや、今までが余裕あり過ぎだったのでしょうか(笑)まあ、あと半年のことなので良しとしましょう。妻は、掃除が直ぐに済むと言って喜んでおりました。

oacisの写真
コンドミニアムのゲート(24時間ガードマンが管理)

oacis_2
コンドミニアムユニットの平面図

sm_3の写真
屋上から、隣接のSMショッピングモール

forbeachの写真
屋上から、南のビーチ方面を望む

beachの写真
徒歩10分の Time's Beach



■ 移住終了

上にすでに書きましたが、諸事情により2014年5月24日を以ちましてダバオでの移住生活を終了し、日本に帰ることになりました。あっという間の5年と6ヶ月でしたが、面白くて、楽しい、有意義で貴重な経験をさせていただきました。(笑い) また、日本に帰りましても、宜しくお願いいたします・・・・・。


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